東日本大震災から今日、3月11日で10年が経ちました。
個人的には、この10年はあっという間でした。
でも、気づけば今現在の生徒さんの多くは震災後に生まれた生徒さんばかり。震災を経験した生徒さんは高校生になっているのを見ると、やはり年月の流れを感じます。
ライフラインが復旧するまではレッスンもお休みすることとなり、こうなると私の仕事は孤独だなぁと感じました。自宅避難民として当時は、社会から孤立した気持ちでいましたね。
ですが、徐々に生徒さんたちと連絡がとれるようになってから、生徒さんの様子を知ることができました。
給水の列、買い物の列に並んでおうちのために一生懸命お手伝いをしている、レッスンが再開されるまでおうちでピアノの練習を毎日頑張っているなど、そういう声は、孤独な私の心を前向きにしてくれました^^
「レッスン、楽しみに待っています」
この言葉がとても励みになりました。
「こういう時だからピアノを弾きたい。辛いニュースばかりで心の平安を求めたい」
と習い始めた生徒さんとの出会いもありました。
当時、私は家族を亡くした時期とも重なって立ち直れないでいたところに、生徒さんから力をいただいて音楽の素晴らしさを教わった気持ちでした。
震災から10年ということで、このところテレビやネットで当時の映像を目にすることが増えました。
10年経ったから思う、災害の大きさに改めて衝撃を受けています。
今宮城県は復興が進んで、あの瓦礫の町からこんなに見事に復興したんだなーと感じます。
我が家の墓地は、海の近くにありまして、震災時すべて流されました。自衛隊の方々によって集められた墓石をもとの場所と思われるところに戻し(お骨は流されてしまいました)、今周辺はこの墓地と、震災遺構の荒浜小学校だけが残され、住宅は建てられない土地になりました。
そして最近「避難の丘」という土地をかさ上げした大きな古墳のような公園ができました。5000人以上避難することができ、ヘリコプターも乗り入れできるんだとか。
平らな土地だったのに、お墓参りに行くたびに防災のためのまちづくりに変わっていっています。
それから、ここ数年に夫婦でよく気仙沼、女川、南三陸町の商店街に出かけています^^南三陸町のさんさん商店街は本当に大好きで、コロナ前はよくドライブがてらに行っていました。とってもきれいになって広場では音楽のライブもやっていて楽しいです。
シーパルピア女川
南三陸 さんさん商店街
海鮮丼 海の幸(*ˊᗜˋ*)/♡
石巻 釣石神社 震災を耐えて落ちなかった石ということで、受験生の参拝が多いです。
沿岸部にはこういう表示がたくさんあります。
この階段の上からの眺め。どれだけの津波だったか…
震災を忘れないということは、次また災害に遭った時に今度は自分がどういう行動をするか、ということが大切だなと思います。
先日、震災の余震と思われる震度5の揺れが深夜に襲いました。ちょっと揺れが長かったんですが、やっぱり311を思い出しましたね。ですが、どうしていたいいかわからなくてただただきゃーきゃーと叫ぶだけだったという(汗)あの日は、ベッドの近くに懐中電灯と靴下、薬などを近くに置いて寝ました。
あれだけのことがあっても、人は忘れていってしまいます。思いっきり反省した私は、ここで改めて防災グッズを確認し、補充しておくべきグッズを買い足しました。
今、ローリングストックという消費した補充して常に一定量の備蓄品を蓄えておくというスタイルが推奨されています。
台風の時もですが、防災グッズを揃えるとけっこうなコストになりますが、消費しながらまた買い足していくと思えば無駄になりませんよね。
うちで補充したものは、ガスボンベ、水、乾電池、あとは食料です。
これを書いていたら、14時46分となりました。黙祷したあと記事をアップします。