生徒数がほしいか、自分の幸せ度がほしいか

ピアノ教室をやろう!と思った時、

「OLさんと同じくらいの収入になるくらいは頑張りたい」

という目標がありました。もちろん、仕事ですから利益を求めるのは当たり前で私も前はもっともっとフットワークが軽くてたくさん教えたい!と思っていました。

実際、OLさん以上の収入を得ることができました。

が。

この仕事は、生徒さんが入ったり退会されたり流動的なもの。あるときふと感じました。ピアノ講師としての『幸せ度』ってお預かりしている生徒さんの人数の多さに比例するのかな? と。

ピアノ講師は生徒のために心血を注いでいる

私の周りのピアノの先生、そしてメールをいただくピアノの先生を知るにつれ、生徒さん一人一人に心を配って神経をすり減らして、心血を注いでレッスンしてらっしゃるのが伝わってきます。

それは、生徒さんへの愛情があるからだし、生徒さんが成長すれば、それが先生の幸せになります。

ただ、すごい人数になってしまうと、どこかでその幸せ度のラインが決壊しそうになることもあります。私はそういう時が何回もありました。

といっても、びっくりするような人数をお預かりしたことはないのですが(汗)先生は、生徒にピアノを楽しんで欲しくて、生徒にピアノを弾くぞっていういいコンディションになるように持っていかなければならず、そのためにすごく神経を使います。そんなレッスンをこなす以外になんにもできない毎日が続いて、時間にも気持ちにも余裕がなくなって、自分のピアノの練習も辛くなってきたりして、徐々にストイックになっている状態が数年続きました。

そんな忙しい毎日を送っていると、ふと

 

「あれ。ピアノ好きなのに楽しくない」

と感じる。

ピアノの先生は、指導する立場として教育的な目線も必要ですが音を扱う以上、「目に見えない感覚」「センス」そういった神経をいつでも研ぎすまされていて初めて、自分の音楽を追求したり、深く理解したりできるわけです。

レッスンでへとへと、レッスンをこなすだけの毎日でそういう音楽をする人間の感覚がさびついちゃったら悲しい。

確かに忙しいときは充実してるし、生徒が集まれば特に始めの数年は楽しくてしかたないです。でも、それをずーっとずーっと続けなければ意味がない、それを私ができるか?って自問自答し続けてきました。体力的にもきついということも知りました。

プライベートな時間に、クラシック音楽や、ピアノの音を聴くと疲労がとれない気分になって何にも聴きたくない時期もありました。

考え続けた結果、次のような結論に行き着きました。

「音楽って楽しい!ピアノってこんなに楽しい!」って思える毎日を送ること

それには、そこそこ自由に使える時間があってのこの仕事だと思うようになりました。その自由時間をもっと他のことに注いで生きて行く糧を得ながら、レッスンへも還元していくのがいいんじゃないかって感じるようになりました。

自由な時間を持つことで、自分の教室、生徒さんを客観視することができて、心に余裕が生まれます。そして何より自分自身が音楽を楽しむ時間、ピアノを楽しむ時間を大切にできるようになります。

人数が多いピアノ教室だけがすごいんじゃない、生徒とのコミュニケーションや、信頼関係を築けるレッスンがしっかりできるくらいの心の余裕を持った方が幸せだなって。心の余裕を持つと、生徒にかける言葉も変わってきます。上手になるためのレクチャーも必要だけど、音楽経験の中で得たことを生徒にもこんな風にも楽しめるよねって、音楽の楽しさを伝える奥行きも出てくるのではないかと思うんです。

生徒さんへの心配りもフォローもできて、ときには心を痛めたり、一緒に悩んだりすることも必要で、自分がしてあげたいと思うだけ愛情を注げる心のゆとりを持てる先生だったら、生徒にとっても、ピアノの先生にとっても一番『幸せ度』をあげてくれるんじゃないかなーと思います。

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