自分のピアノ教室を開く道を選んだ人生

 このブログでは、これからピアノ教室を開こうとしている方、ピアノ教室運営で悩んでいる方に向けて、

多くの生徒さんが集まり、そして長く愛される教室運営について発信しています。

 

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まずは初めましての方に向けて、改めて私のプロフィールを書こうと思います^^

ここまで赤裸々に書いたことは初めてかもしれません。よろしかったらおつきあいください(❀ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾

ちなみに、HNのmarbleという名前は、昔飼っていた飼い猫の名前からきています(笑)

*+:。 あきらめられなかったピアノを教えるということ 。:+*

 

小さい頃からピアノは大好きで、子供心に「けっこう自分ってピアノ上手いんじゃ?」なんていう自覚はありつつも、進路を考える時期、悩んだ末に音楽の道へ進まずに普通大学へ進学しました。


浪人した時、音楽系の学校に進みたかった思いもありましたが、就職を考えて普通大学へ。

音楽への未練はありましたが、その時代バブル崩壊直後で、大学在学中にちょうど就職氷河期に入ってしまいました。

進路を考える中で、やっぱり心の中でくすぶっていた音楽への想い。

「ピアノを教える仕事がしたい」

 

という思いが湧き上がり、就職をせずにピアノ講師を目指すことにしました。

周りからは当然、反対されました。

「ボーナスもないんだよ」
「社会保障もなんにもないよ」
「生徒が集まらなかったらどうするの?」
「せっかく4年制大学出たのにもったいない」

と、今にして思えばもっともな助言でしたが💦当時の私はなぜだか根拠なく、

「できる!やれる!」

 

という気持ちを変えることなく、それらの反対に耳を貸しませんでした。

両親にはどれだけ心配をかけたか、落胆させたかと思うと心苦しいです。

が、当時はコネクションがなければ就職はできない時代、どっちみち就職浪人も目に見えていたので、ピアノ教室を開いて、自営業へ進む方へ舵を切りました。

生徒さんさえ集まればやれるんだ、と信じていました。


*+:。 それは生徒さん1人から始まった 。:+*

大学を卒業後、アルバイトをしながら教室開業の準備として、生徒募集のチラシを初めて自分で作って配るも、反応はなし。

現実の厳しさを感じつつも、モチベーションはまったく落ちずに生徒募集の方法を模索していました。


当時知り合った楽器店の人からの紹介で、初めての生徒さんは出張の生徒さんでした。このたった一人ののレッスンが私のピアノ講師人生のスタートでした。

「あぁ、これが私のやりたかったことだったんだ」と実感し、とても心が満たされるのを感じました。

 

*+:。 子供が少ない地域でも自宅教室を開くことを決意 。:+*

出張の生徒さんの口コミから出張の生徒さんがぽつりぽつりと入会してくださって、レッスンの経験を少しずつ積みました。そして一年後、自宅で教室を開こうと決意。

ただ私の教室は、子供が少ない田園風景の広がる田舎町。

 
マーケティング的には「集客を見込めない」地域であり、楽器店の人もさじを投げるほどでした。
 
 
同じ頃、セミナーなどの後に先生たちは午後からレッスンがあるから~と帰る姿に、心底うらやましいなーと思っていました^^;
 

このころの私の日常といえば、レッスンは週2回数人、あとはアルバイト、たまにセミナー、月3回ピアノのレッスンを受けるという日々。教室の主宰者としても、先生としてもまだまだ半人前でした。

私は奮起し、ちゃんと手にとって読んでもらえるような、の教室は作らないだろうチラシを自分で手作りすることにしました。

 
何日も徹夜をし、色画用紙やポスターカラーなどを買い込んできて時間を忘れて作りました。
 
大変だったけれど、すごく楽しかったです^^
 

*+:。 転機・勇気のポスティング、チラシの手渡し 。:+*

できたチラシを近所にポスティングし、小学校の入学式でも(許可済み)、校門で手渡しで配布しました。
このポスティングと手渡し作業は正直、勇気がいるものでした💧
 
指導する先生自身(私)が、にこにこ笑顔で、大きな声で自ら自分の教室の宣伝をすることの大変さを経験したこと、そして、

生徒一人来てくださることの重みを肌で感じる経験
 
となり、このことは私の原点となりました。

なかなかの経験でした^^; ほんとに。

でも、

若い時にこのくらいやれなければ、この先も私は何もできない

と自分を奮い立たせました。

恥ずかしいなんて言ってられない、せっかく作ったチラシに自信を持とう!と。

 

その後1ヶ月以内に、4名の新入会がありました。

自分の働きかけで初めて生徒さんを迎えることができた瞬間でした。

チラシ配りを手伝ったもらった楽器店の方からは

 

「先生、おみそれしました。正直、生徒さんは集まらないと思っていました」

 

と言われました。ひどいな(笑)

 

配ったチラシは、小学校に配布したのが20枚弱。ポスティングを含めて40部だけです。

この時ポスティングしたチラシをとっておいてくれて、3年後にご入会された生徒さんもいました。そのくらい

「捨てずにとっておこう」と思ってもらえるチラシを作ったのです^^


本当に取っておいてくださった方がいたことに感動しました。本当にありがたいなと思いました。

この手作りチラシを作ったことが、私の転機だったと思います。

 

*+:。 教室が形になって、運営の難しさに直面 。:+*

 

それから自宅レッスンも、出張レッスンも生徒さんたちからの口コミで少しずつですが増えてきて、教室が軌道に乗り始めてきたころ、アルバイトもやめ、4、5年かかってようやく自立できました。

毎日が本当に楽しく、ストレスなんて無縁の「なんて素晴らしい仕事なんだろう!」と会社勤務にはない達成感というのを味わう日々でした。

でも、生徒数が増えていくにつれて、問題も浮き上がってきました。

それは、私が教室のガイドラインを作っていなかったため、自分の教室運営の制御ができていないことが発生するようになりました。

当然のことながら、大人数を抱えれば問題も出てきます。私の代わりは誰もいません。

誰にも相談できずに、ひとり悩みに悩んで、出した答えが教室運営のシステムでした。

それらはすべて、生徒さんが教えてくれたものなのです。


*+:。10年の軌跡を記すためHP開設。:+*

 

私が、ピアノ教室の運営とともに、コードやアレンジの勉強を始めて新しいことにチャレンジもしていましたが、一時期すごく似詰まっていたころがありました。

そんな時、母が

「例えば、子供を産んで育てる事は誰でもできる。だけど、あなたの仕事は誰でもできる仕事じゃない。だからよその人が子育てしている時間を、あなたは何かを成し遂げることに費やす意気込みでやんなさい」

と言われたことがありました。当時、30代半ばだったでしょうか。まだ独身で、あぁ、人とは違う人生を選んでしまったなぁ、これからどうしたらいいのかなぁ、と気持ちがふわふわしていた時期でもありました。

その母の言葉がとても心に刺さりました。

そこで、自分がやってきたこと、これだけは人より熟知していることは何かを考えた時に、ピアノ教室を自分で始めた頃の気持ちを思い出しました。

そうだ、ピアノ教室をゼロから始めた経験は、これからピアノ教室を始めたい人にいくらでも語れる、それをHPにしようと思いつきました。

当時、そんなHPを検索してもほとんどなくて、需要があるだろうかと不安に思いながらも、毎日レッスン時間よりも長い時間をかけて(笑)サイト作りに没頭しました。

最初は、だーれもみてくれないサイトでしたが、いつのころからかメールをいただくようになり、日本の、世界のどこかの知らない方の力になれているんだと、かえってありがたく思いました。

そして、

「marble先生のホームページを見て、ピアノ教室を開くことができました」

との報告もいただくようになりました。これは私にとってのちに大きなきっかけとなりました。

*+:。音楽教室運営法を執筆開始。:+*

その後、アメブロでブログを開設したところ、いただくコメントやメッセージから、アメブロの多くのピアノの先生がなんと、私のことを知っていた!という事実を知りました。

私が作ったサイトは、アメブロのピアノの先生たちにも読んでいただいていたのです。

ある方との出会いによって、私がサイトに綴ってきたピアノ教室の開業方法、運営方法をまとめたものを商品化しようということになりました。

「何かを成し遂げるために」

母の言葉を思い出しながら毎日毎日書きました。

 

+:。東日本大震災と父の死。:+*

その原動力は、当時入院していた父のためでもありました。父が病気と闘っている、私も頑張るんだ、そして一人でしっかり生きていけるよ、と安心させたかった気持ちもありました。

ところが、2011年2月、父は他界しました。

そしてその1ヶ月後、3月11日、宮城県に住んでいる私は、あの大震災に見舞われました。

 

参考 東日本大震災アメブロ

あの時の喪失感と、心細さは今も言葉にうまく表せません。沿岸の方々は津波に流され、自分だけが辛いとは言いにくい状況の中、私たち家族は大黒柱を失って、ようやく残ったものたちで頑張ろうと立ち上がりかけたタイミングでのあの震災は、さすがに心が折れ、絶望しました。


世の中がすべて変わってしまったと思いました。原発で騒がれてもいましたから、ここに住めるんだろうか、兄からは自分と母親は残るから、兄の奥さんと子供と私で安全なところに逃げなさい、という話まで出ていました。


そして、こんな情勢で音楽が町から聴こえる日がまたくるんだろうか、ピアノを弾きたいなんて思う人がいるんだろうか、と廃業も頭をかすめました。1ヶ月近く自宅で仕事の再開もできずに避難生活をしていました。


ですが、何かをしていないとよくないことばかり考えてしまうので、執筆に没頭することで平静を取り戻そうとしていました。そのうち、復興が少しずつ進んできて、一ヶ月後にようやくレッスンを再開することができました。

*+:。音楽教室運営法をリリース。:+*

その7月に、「あなたにもできる!長く愛される音楽教室運営法」をリリースする運びとなり、予定の部数が一週間で完売、非常に大きな反響をいただきました。その年12月にも第2回目を公開し、それも完売となりました。

お申し込みいただいた先生方とのメールサポートのやりとりで、「生徒さんが増えた」「運営の悩みが解消された」というお声をいただくと、私の方が勇気づけられる思いで、もっともっといろんなことをお伝えしたい!という意欲が湧いてきました。

「運営法」を通じて出会った先生方には今でも本当に感謝しております。

翌年には「すべての準備が1からわかる☆心に残る発表会の開き方」をリリース。

2011年は、人生でとても過酷な1年であったと同時に、少しだけ「何かを成し遂げる」きっかけになった年でもありました。

+:。結婚・現在。:+*

震災、父の死からちょっとずつ立ち直り、私はこのままひとりで生きていくんだろうなぁ、とある程度覚悟を決めていた頃、主人と出会いました。震災から3ヶ月後くらいのことでした。

私は、父が巡り会わせてくれた縁だと思っています。

主人の理解もあって、結婚後も独身時代と変わらずレッスンを続けています。ただ、生活スタイルが変わり、家庭のもろもろのライフイベントもあって、しばしネットから離れておりました。

が。

ようやく自分の時間をとる心のゆとりができた 2018年、またネットにひょこっと現れました(笑)今度は、ワードプレスに挑戦し、このブログで更新することにしました。

 

*+:。 ピアノの教室の運営は長く続けられること。:+*

これまで、ピアノ教室を運営することで、充実した日々を過ごすことができた反面、毎日二桁のレッスンをこなすとそれだけで1日が終わり、精神的にも体力的にも疲弊することもありました。

生徒を数多く持つということは、それだけ責任も伴います。先生の体は一つ。代わりもいません。

私にとっては、たくさん生徒さんが増えるのはもちろん嬉しいけれど、生徒さんが入会した後の年月の方がずっと長い。生徒さんが入会したあとの運営の方が実は大事なことだと年齢を重ねるたびに感じています。

女性の先生は特に、結婚、出産、病気、または介護の問題などライフイベントが変化していきます。

その中で、生徒さんに迷惑をかけずに一定のレベルのレッスンを提供し続けられること、良好な信頼関係を築き続けること、それが先生にとっても生徒さんにとっても幸せな環境だな、と思っています。

今の私は働き方を変え、レッスンする曜日、教えられる人数を決めて、その範囲でご紹介や看板、ホームページから生徒さんを受け入れています。

「あなたの教え方が上手だから、何年もこうやって新しい生徒さんがくるんだろうねぇ」

と新規の生徒さんがいらっしゃるたび、今はもう年老いた母は言います^^そうだといいのですが(汗)

ある意味、母は私のメンターでした。そして父も私の仕事をずっと応援してくれました。

父は亡くなる3日前、病床で目を閉じたまま誰に言うともなく、まるで遺言のようにたくさんのことを語り続けた瞬間がありました。その言葉の中に、

「1人でよくここまでやってきたなぁ。人に文化を伝えることは大変なことだなぁ」

これは私に言ってる言葉だ!と思った瞬間、それまでなんとかこらえていた涙がこぼれました。父も私をずっと見ていてくれました。

女性1人が、自分で仕事を始めること。

これは、周りのサポートがあるおかげです。それを忘れてはいけないと今も常に感じながら仕事をしています。

そして、誠実に生徒さんと関わり、長く音楽を楽しんでもらう場所を提供していきたいと思っています。

このブログもずっと育ててきた私の大切な場所です。これからも、みなさまのお役に立てるような記事を更新していきます。どうぞよろしくお願いいたします(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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